カンパラ (Kampala District)
19世紀、カンパラは象牙交易を進めるアラブ=スワヒリ商人の隊商ルートの深部に位置していた. 象牙運搬人の内の奴隷たちは現在のケニアのモンバサからタンザニア沖に浮かぶザンジバル島へ積み出されていった. カンパラは1896年にイギリスの保護領とされたブガンダ王国の中央部に位置し、首都であった. その後、イギリスの探検家で後に植民地行政官となったフレデリック・ルガードによって1890年に築かれた砦の周囲に広がった. この砦はケニアを活動の中心とした帝国イギリス東アフリカ会社 (Imperial British East Africa Company, IBEA) の権益を護るためのものである. 1893年、同社は権益をイギリス政府に委譲した.
1962年にイギリス連邦内の自治領としてウガンダが独立すると、それまでのイギリス政庁があったエンテベに代わって首都となった. このとき大統領となったのはブガンダ王のムテサ2世だった. 市街地のほとんどは1979年のイディ・アミン政権の転覆とその後の内戦で破壊された. 復興のために都市インフラはかなり回復したものの、急激な人口増加とそれに伴う慢性的な交通渋滞、経済の建て直しなどが課題である.
カンパラ市内には東アフリカ開発銀行がある. 東アフリカ開発銀行は、1967年にウガンダとケニア、タンザニアの3カ国が連邦国家を設立する目的で発足させた東アフリカ共同体 (EAC) の下部組織である. なお、やはり東アフリカ共同体の下部組織である東アフリカ鉄道もカンパラ、ナイロビ間をはじめ、3カ国の国内に多数の路線を運営している.